見沢知廉とは
作家・見沢知廉(本名・高橋哲央)は昭和34年8月23日、東京都文京区に生まれました。
高校時代から新左翼活動家となり、「成田闘争」に参加。この頃から小説の執筆を始めます。
しかし、三島由紀夫を追悼する「憂国忌」に出席したことをきっかけに新右翼に転向。そこで統一戦線義勇軍書記長に就任するなどし、理論派の活動家として知られるようになります。
そして昭和57年9月に「スパイ粛清事件」を引き起こし、実刑12年を宣告されます。獄中で執筆を続け、出所前の平成6年に新日本文学賞(佳作)を受賞、満期出所後に『天皇ごっこ』で作家デビューしました。
その後、『囚人狂時代』が8万部のベストセラーになり、『獄の息子は発狂寸前』、『調律の帝国』などを立て続けに発表。『調律の帝国』は三島由紀夫賞候補になりました。
また、「群像」「文学界」「別冊宝島」「週刊プレイボーイ」「BURST」「創」「テアトロ」「GON!」「BUBKA」に連載するなど、幅広く活躍しています。
ところが平成17年、横浜市の自宅マンション8階から転落し、逝去。46歳でした。死後にも作品が刊行され、舞台化・映画化もされています。

年表
| 1959年(0 歳) | 東京都文京区千駄木に生まれる。父親は芸能プロダクション経営、祖父は元新聞記者、祖母は助産婦。 |
| 1965年(6 歳) | 親はエリートコースを想定し、越境入学で進学率の高い小学校へ。 |
| 1969年(10歳) | この頃はガキ大将。ボーイスカウト、習字、オルガンなど習い事多し。 |
| 1970年(11歳) | ヒトラーの『我が闘争』を読み、衝撃を受ける。中学進学に備え受験勉強。 |
| 1973年(14歳) | 早稲田中学に入学。フィギア、モデルガン、切手など多くの趣味に没頭。 |
| 1974年(15歳) | ヤンキーの友達の影響から非行へ。万引き、パチンコ、車両破壊などをする。既成右翼の手伝いも。 |
| 1975年(16歳) | 早稲田高校へ入学。 |
| 1976年(17歳) | 第2次石油ショックで父親の会社が倒産。進学校になじめず登校拒否。バルザックやドストエフスキーなどの小説を読み、自分も人を救う作家になることを決意。 |
| 1977年(18歳) | 高校2年、学期末試験で教壇に上り、試験用紙を破り「教育批判」の演説。退学処分。新左翼のクラスメイトがいてセクトに勧誘され入る。彼と共に教室を破壊。定時制の高校に転校し、暴走族に入る。 |
| 1978年(19歳) | 3月、中央大学法学部入学。成田「3・26管制塔闘争」に参加。「生きて帰れない」と感じ、処女小説『回転』執筆。新人賞へ投稿。闘争は激しいゲリラ戦で勝利し、武装闘争で社会が変わるという幻想にとりつかれる。新左翼セクトのアジト専従になる。 |
| 1979年(20歳) | 新左翼の東京サミット決起集会中止に失望し、セクトを止め、一年間部屋へ閉じこもり小説を書き勉強に熱中。 |
| 1980年(21歳) | 11月第10回憂国忌(三島由紀夫追悼会)への参加をきっかけに新右翼に入る。 |
| 1982年(23歳) | 初頭、新右翼の最過激派の連合体である「統一戦線義勇軍」とその中核「一水会」へ入る。 機関紙の発行や組織化をし、武装闘争を指導。義勇軍書記長、一水会政治局長に就任。ロシア大使館、アメリカ大使館攻撃などのゲリラ活動。 フォークランド紛争勃発後、<有色人種対白人><反英米>を掲げ、イギリス大使館を攻撃、火炎瓶で放火。犯行声明をもみ消され、4人の要人テロを計画。 警察は24時間尾行しアパートローラーをかけ、スパイを送り込む。9月、同志9人と共にスパイを査問し、粛清。富士樹海へ遺体を埋める。メンバーの3人は逮捕され、1人だけ全国指名手配の警備網をくぐり抜け、神奈川県に逃走。 9月27日、出頭し逮捕。11月東京拘置所へ。その後、政治論文と小説を執筆。 |
| 1983年(24歳) | 3月裁判結審。求刑は無期懲役だったが、最終弁論で「政治的な事件」の主張が認められ実刑12年。川越少年刑務所を経た後、千葉刑務所へ移送。 |
| 1986年(27歳) | 刑務所での反抗始める。出所まで、看守の目をかいくぐり、執筆活動。母親が清書し文学賞に応募。5月頃、昼夜独居専門舎の「11舎」へ。この頃『民族派暴力革命論』を小部数刊行。 |
| 1988年(29歳) | 昭和天皇崩御。恩赦は出ず。7月頃反抗のため、八王子医療刑務所へ。 |
| 1990年(31歳) | 千葉刑務所の11舎へ戻る。コスモス文学賞を受賞。 |
| 1991年(32歳) | 獄中決起未遂。執筆禁止などを巡りハンスト(絶食)。39キロまで痩せる。 |
| 1994年(35歳) | 春より、本省派遣の幹部、看守などに拷問の限りをつくされる。小説執筆もまた、禁止となる。10月、新日本文学賞受賞。12月8日満期出所。 |
| 1995年(36歳) | 出所後メディアに登場。12月、受賞作『天皇ごっこ』(第三書館)を刊行。 |
| 1996年(37歳) | 2月『囚人狂時代』(ザ・マサダ)を刊行し、8万部のベストセラーに。 |
| 1997年(38歳) | 政治活動を休止し、執筆に専念。6月『獄の息子は発狂寸前』(ザ・マサダ)、12月『調律の帝国』(第三書館)を刊行。この頃連載は「群像」「文学界」「別冊宝島」「週刊プレイボーイ」「BURST」「創」「テアトロ」「GON!」「BUBKA」など。9月には劇団「第三エロチカ」が、これまでの半生を題材に『オイディプス、WHY?』を上演。 |
| 1998年(39歳) | 三島由紀夫賞候補に。父親が逝去。11月、立教大学の講演中に卒倒。以来、入退院を繰り返す。 |
| 1999年(40歳) | 秋、2ヶ月近く入院。 |
| 2000年(41歳) | コラム集『日本を撃て』(メディアワークス)を刊行。 |
| 2001年(42歳) | 『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』(同朋舎刊)、 『蒼白の馬上』(青林堂刊) 『極悪シリーズ』(雷韻出版刊)を刊行。 |
| 2005年(46歳) | 9月7日、横浜市戸塚区の自宅マンション8階から転落し、死去。暫くして遺書が見つかる。 戒名は夢翔院仁哲究廉居士。光源寺に葬られる。 同年、作品社から『ライト・イズ・ライト』『七号病室』を刊行。新潮11月号に『愛情省』(遺稿)掲載。 |
作品
| 『民族派暴力革命論』大友出版刊 1995年 1986年に清水浩司小論文集①として2千部刊行されたものの再刊。おもに1982年前後に 「レコンキスタ」(一水会)・「義勇軍報」(統一戦線義勇軍)などに発表した論文に 未発表論文を加えたもの 【目次】著者紹介/武装斗争に決起せよ!/『新右翼』の思想と軍事の周辺 /世界観の解析/初級革命講座/中級革命講座―前編/中級革命講座―後編/ 中森明菜の登場とファシズム/活動家の為の実践ゼミナール/プロパガンダについて/ ドロップアウトの方向性について/オルグand集会について/組織の維持について/ 偶像について/実戦について/常識の超越について/よくわかる新左翼/資料 パンフNo-1/あとがき |
| 『上級維新入門講座』刊行所不明 刊行年不明 『民族派暴力革命論』同様、おもに1982年前後に 「レコンキスタ」(一水会)・「義勇軍報」(統一戦線義勇軍)などに発表した論文に 未発表論文を加えたものと思われるが詳細は不明 【目次】序/政権奪取/第一シナリオ(前提的条件)/第一シナリオ/第二シナリオ/ 第三シナリオ/第二革命、第二維新について/再軍備・軍概念の改変・再編/教育の改変/ 家族・男女本質の改変/第三~五次産業構造の改変/行政・立法/司法・検察・警察・刑事施設/ 家屋・建築/技術圏について/道徳・価値観・常識について/情報機構の改編と施行/ 娯楽・趣味の用意。性産業とギャンブルの国家管理/資本の本質改変(ナショナリズム資本や疎外産業など) /地方自治・公務員/党機関/戦略機構/政体と国体のトップ機関/軍事局/宗教について/ 祭典・パッションの演出/第一次産業/福祉・社会保障について/第二次産業/ マスコミ・ジャーナリズム/大衆文化・芸能/芸術・文学/天皇について |
![]() | 『獄の息子は発狂寸前』ザ・マサダ刊 1997年 書き下ろしエッセイ 巻頭に獄中から出した書簡の写真など 巻末には母親から手紙を掲載 【目次】序章―母と子/第1章 あの、蒼い日々/第2章 檻の中/第3章 「小説禁止」の死角 /第4章 母の災難/第5章 「発狂寸前」/第6章 獄中の新人賞/獄の息子への手紙 |
| 『囚人狂時代』(新潮文庫版)新潮社刊 1998年 ザ・マサダより刊行された単行本に加筆したもの 【目次】序章/1章 留置所のビッグたち/2章 千葉刑務所の有名人列伝/3章 右も左もない世界 /4章 戦艦大和が飛んでいる!?/5章 厳正独居 十一舎での日々/6章 恐怖の八王子医療刑務所 /7章 カッパとチンコロは派閥でかわせ/8章 「神のサイン」で、つい殺人!?/終章 /あとがき/参考資料「受刑者の生活心得」「守らなければならないきまり」他/解説(香山リカ) |
| 『天皇ごっこ』(新潮文庫版)新潮社刊 1999年 第三書館より刊行された単行本に加筆したもの 【目次】第一章~第五章/あとがき/文庫版あとがき/参考文献/解説(宮台真司) |
| 『日本を撃て』メディアワークス刊 2000年 「BURST」「創」「朝日新聞」「東京新聞」などに連載または寄稿したエッセイを単行本化したもの 【目次】まえがき/第一章 地の果ての刑務所/第二章 狂気せよ!/第三章 脱小市民宣言!/あとがき |
| 『テロならできるぜ 銭湯は怖いよの子供達』同朋舎刊 2001年 書き下ろし小説等に『純文作家のサイコな日々!?』と『文学と少年殺人者の親密な関係』 (アスペクト)を、加筆訂正して挿入したもの 【目次】ネオ政治少年死す/<敵>が判んねえなら教えてやる/ティーンからのレター/ 隠語入門/若きテロリストのアジテーション/見沢流・読ムベシ見ルベシ/天皇=神ではない /永山則夫への手紙/明日のニッポン/エピローグ |
| 『蒼白の馬上』青林堂刊 2001年 「ガロ」2000年7月号から2001年2月号に連載された作品に書下ろしを加えたもの 【目次】一/二/三/四/五/エピローグ |
| 『極悪シリーズ』雷韻出版刊 2001年 「BURST」に連載された作品に書下ろしを加えたもの 【目次】序章/媚薬をキメろ!/少年弾圧の巻/ノストラダムスと九九年七月/まずい盗聴法をつぶせ! /入院がコワイ!/入院したぞ!/「天皇」ごっこ?/超ド級のインフルエンザで倒れたのは小淵のせい? /ペキング・オーダー/ファッショ!文化人より鋭い!?青少年達/新刊タイトルそのままに「日本を撃て!」 /募集/ティーンは燃えているか?/続ティーンは燃えているか?少年は燃えているか!?/ 終戦記念日に怒る!/十代、二十代前半の熱い声<メール、レター>を聴け/ 「群青忌」について/重信!ピスケン!お前もか!/少年に告グ/迷走する若者たち/ 21世紀へのカンフル剤/『蒼白の馬上』/怒りの連続砲/その日。日比谷野音は革命だった!/ ★千葉刑OB座談会/あとがき~エピローグ |
![]() | 『ライト・イズ・ライト Dreaming 80’s』作品社刊 2005年 獄中時代から晩年まで書き綴った小説 【目次】1/2/3/4/5/6/7/8 |
| 『七号病室』作品社刊 2005年 千葉刑務所にて書かれた小説2作品を収録。『七号病室』は1988年作。コスモス文学賞受賞。 『改造』1984年作。未発表作品。 【目次】七号病室/改造 |
共著
『知的C級生活のすすめ』
『知的D級生活のすすめ』
『オウム大論争』
『隣のサイコさん』
『サイコさんからの手紙』
『隣の殺人者たち』
『援交から天皇へ』

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